幸せ

 

 

 

最近は、仕事もそこそこ順調で、お金もそこそこある。

そこそこ恋愛も安定していて、友達もいる。

 

仕事、恋愛、お金。

どれも、そこそこ幸せである。

 

と、ふと思った休日。

なんだかボケーっとしてしまったのである。

 

そんなとき、

私は今まで、悔しいとかしんどいとか、

〜しなきゃとか、変な使命感だったりとか、

お金がないとか、恋に破れたとか、報われないとか、

そういう負の感情の中で、幸せというものを感じてきた人間だと思った。

 

 

これからも、もちろん不幸なことはあるのだろうけど、

でも、なんだか今までと感じ方が変わるだろう、と思う。

なぜなら、今の幸せは、自分で掴んでいるものだから。

 

自分の幸せってなんだろう?と考えて、

ちょっとずつ積み重ねたのが、今である。

 

 

負の感情の中でもなく、孤独でもなく、

暖かいものの中から、幸せを生み出したい。

 

暖かい、楽しい、ゆるやかなもの。

心からやりたいこと。

一緒にいたい人。

 

 

それはなんだろう?と考える。

 

 

 

忘れた人

 

 

私は27歳です。

最近思うのは、"しばらく会っていない人"が多くなった、ということ。

 

18歳まで実家にいたので、それまでは、

関わっている人もさほど変わらないし、だいたい近くに住んでいたので、

どこかで話題に上がったりして、定期的に思い出す機会があった。

 

18歳から27歳までの約10年間の間に、

大学やサークル、インターンや会社、歌手活動やバイトを含めると、

とても沢山の人に出会った。

 

住む場所も違えば、国さえ異なる人もいる。

複数人のコミュニティではなく、個人で出会った人もいる。

そうなると、何かのきっかけで思い出さない限り、

忘れてしまう、ということに気が付いた。

 

 

昔は仲が良かったのに、今あったらどんな風に呼べばいいんだろう?

と悩むこともある。

そういう、"しばらく会っていない人"が増えたなぁと感じた。

 

 

自分にとっての大事な存在、キーパーソンとは、

定期的に会いたいと思った。

自分から会う機会を作ることが必要である。

もちろん、偶然出会うのも素敵なのだけれど。

 

 

自分にとって、定期的に会いたい大切な人。

って誰なんだろう?と

年末年始に考えて、1月中に会ってみようっと。

 

 

 

師走

 

 

あっという間に、12月になった。

 

今年はとにかく働いた1年だった。

年始に掲げた目標は、だいぶ達成し、

なかなか頑張った1年だったのではないかと思う。

 

出張の日数を数えたら、101日だった。

1年の3分の1は、どこかに行っていた。

佐賀県、愛知県、京都府大阪府、埼玉県が主な出張先である。

 

大体は、プロジェクションマッピングの作品か、

LEDライトや光る造形作品の仕事をしていた。

いろんな現場があったし、いろんな作品があった。

様々なやりとりがあって、感情も揺れた。

 

ふと気づくと、どこか慣れのようなものも出てきてる気がする。

効率よく仕事ができるようになることと、

慣れてしまうのは違う。

 

だがしかし、今年はだいぶ頑張ったのではないだろうか。

自分をしっかり褒めて、大事にすること。

低姿勢になりすぎないことも、来年への抱負である。

謙虚に、尊厳を持って生きたい。

 

 

師走。

自分へのご褒美と、来年への喝と、

周りの人への感謝を大切に過ごしたい。

 

 

少しずつ変わること。

 

 

もう11月である。

やっと11月、という感覚もある。

今年は、とにかく働いた。

色んなことが身についた感覚があるが、

何かを失っている気もする。

それはそれで、どちらも良いこと。

 

 

最近、久しぶりに彼氏と呼べる人が出来た。

(このブログは、私の知人はほとんど見ていない、

ひとりごとだと思って記載している)

 

 

彼氏という存在は不思議なもので、

友達や同僚より近く、家族より遠いはずなのに、

日常では一番近くにいる。

 

日々何かを少しずつ共有すること、

食事や休息を共にする人がいることは新鮮である。

 

だが、1人の時間から、2人の時間になったことが少しずつ増えて、

それに慣れるまでは、何かと注意深くバランスを取りたい。

 

他者の価値観や、癖や、匂いと共存することは、

とても良いことであり、慎重な事柄である。

 

 

 

もう年末に近づいてきて、

自分を振り返る時間を、自分が持とうとしている。

何かと、「このままで良いのか?」と問いかける。

 

いいこともわるいことも、ある。

最近わかったことは、私は「悪意」に敏感である。

 

「悪意」が小さじ1杯でも存在すると、

それが少しずつ溜まっていくと、

おそろしくストレスに感じる。

 

自分の要素の中に取り入れられた、

「悪意」を抜くまで、力が入らないことすらある。

 

「悪意」というのは、「悪事」や「いたずら」と違って、

あまり目に見えなかったりする。

大したことがない、むしろ気づかない人も多いくらいのものである。

 

だが、確かに存在する「悪意」というものは、

少しずつ、人々を侵食し、ストレスになっていくのではないかと思う。

 

私は、なるべく「悪意」と距離のある場所にいたい。

 

悪意は連鎖するし、悪意は、根元を絶つのが難しい。

避けられるものは避けたほうが良い。

大それたことではないからこそ、サラリと受け流したほうがいいのである。

 

受け流す身軽さは、いつまでも忘れずにいたい。

 

 

 

来年は何をしよう。

もう少し、音楽をやりたい。

 

 

 

 

腰を低く

 

最近、心に響いた言葉。

 

普段より、普通に、無駄に丁寧で、無駄に腰を低く(物理的に低く)、

さわやかに挨拶(物理的に大きな声で)してくれれば、うれしいです。
無駄に腰が低ければ、それも、物理的に、無駄に腰が低ければ、無駄に挨拶が良ければ、

それも、無駄に、声が大きければ、後は、本質的なバリューが高ければ、絶対大丈夫です。

「素直・謙虚・元気」を絶やさずに。

 

今日は嫌なことがあった。

 

数年前にお世話になっていた方から、

あるピアニスト ○○さんの、リサイタルの受付を頼まれた。

 

正直、面倒だなと思ったが、そのお世話になっていた人のお願いとのことで、引き受けた。

 

 

当日、会場に5分前に到着すると、3名の男性がいた。

この日、リサイタルを行うピアニストの人とは会ったことがなかったので、

「○○さんですか?」と声を掛けた。

すると、その方は○○さんではなく、

「○○さんは中でリハーサルをしていますよ」とのことだった。

 

演奏中に邪魔をしてはいけない、と思い、

そのまま部屋の外で待つことにした。

会場は、30名程度が座ることのできる小さい部屋で、
ぽつりとピアノが置いてあった。

 

5分ほど待っていると、いきなりドアが開いた。

すごい勢いで、○○さんは現れ、私に怒鳴った。

 

「なんで到着したら部屋に入ってこないんだ!」

「気づかないだろうが!!」

 

とっさに私は、

「すみません。リハーサルの邪魔をしてはいけないと思い、外でお待ちしておりました」

 

○○さんは、

「チッ。まぁいいですよ」と言った。

 

この日初めて会う人であり、挨拶もしないまま、怒鳴られ、驚いた。

到着して、私が待っていた時間は5分ほどで、

会場も小さく、開演までは1時間もあった。

 

そこから私は、置いてあるチラシの折り込みを行い、受付を開けた。

「今日は宜しくお願いします」も言われないまま、リサイタルは始まった。

 

 

正直、こんな姿勢の人のピアノなんて、心に一切入ってこなかった。

 

○○さんが、もしかしたらとってもすごい人なのかもしれない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

 

きっと、いろんな人にこうやって接してきた人なんだろう。

もし、人望がある人なら、知り合いでもない私に声をかけずとも、

お手伝いしたい人がいるはずだろう。

 

 

それでも、きっと、私も○○さんも、どちらも正しいのだ。

○○さんのリサイタルを聞きに、20名ほどのお客さんが来ていたし、

○○さんには○○さんの世界があって、

それで満足することがあるのだ。

 

それと同じく、私にも大事にしているものがあり、

それがおそらく、○○さんとは違ったのである。

 

 

 

素直・謙虚・元気を絶やさないことは難しい。

だが、私の会社の人たちや、まわりの人は、すごく謙虚だ。

 

どんなにすごいことをやっていても、

どんなにチヤホヤされても、

低い腰でありたい。

どんなに焦っていても、

どんなに追い詰められていても、

自分で自分を操作したい。

 

相手にぶつけるのではなく、

自分でどうにか収めたい。

まわりの人には、笑っていてほしい。

 

 

そう思った出来事だった。

きっと、イライラした私も、謙虚ではないんだろう。

でも、謙虚であることと、自分を殺すのは違う。

 

綺麗なピアノの音色も、ただの雑音になる。

拙いピアノでも、聞きたいと思う。

その差は、なんだろうか。

 

少なくとも、傲慢な人の音楽や作品は、私は見たくない。

人の振り見て、我が振り、直そう。

 

 

 

良かったこと

 

 

 

 

最近、良いことがあった。

この半年、目標としていたものが、叶った。

叶うと思っていなかったので、嬉しかったのである。

 

目標が叶うと、不思議なことに、

次の扉が開くもののようである。

今まで見えなかったものが見えて、

新しい悩みが現れる。

そうやって、少しずつ成長するみたいだ。

 

 

去年の9月といえば、ちょうど、

阿佐ヶ谷の古い一軒家に、ゆりと住みだした頃だ。

 

私はその時、大してちゃんと仕事もしていなかったし、

やりたいことと言うよりは、

何かやらないといけないような気がしていることに追われて、

俗に言う プータローであった。

 

 

 

それから、引っ越しや、仕事内容が変わったりして、

いろんな偶然から、今の状態になった。

そして、今年の春に決めた目標が、ひとつ達成された。

 

合格するとか、就職するとか、彼氏ができるとかっていうのは、

きっと、社会的なステータスが変わる、ということで、

それで満たされる何かを体験したのは久々だった。

 

わりと、少数派に属する人間だと思っているので、

多数派が感じる良いことに触れるのは、稀なことで、

そういうのは良いなぁと思った。

なにもかも、曖昧な文章になってしまっているけど、

兎にも角にも、よかった、のである。

 

自分がこれから何がしたいのか。

体力をつけたいし、痩せたいし、好きな服を着たい。

好きなものを食べて、楽しく過ごしたい。

そして、少し音楽もやって、歌を歌ったりして、

たまには、心が震える感動をして。

安心して眠りにつきたい。

 

そのために、なにを選んでいこうか?と考える。

 

ふと気づくと、

何かやらないといけないような気がしていることには 追われていなくて、

したいことをしている自分 に近づいている。

気がする。

 

よかった。

 

 

 

明大前

 

 

今、明大前のカフェにいる。

明大前には、21歳〜22歳くらいの頃と、

23歳~24歳くらいの頃に、住んでいた。

合計で2年くらい住んでいたことになる。

今から、3年前くらいのこと。

 

なんだか、もっと前のような気がする。

昨日、深夜に 漫画の タラレバ娘を読んでいたら、

なんだか、「結婚」とか「彼氏」というものが

なんとも懐かしくなって、明大前に来てみた、というわけである。

 

明大前に降り立つと、猛烈な懐かしさと、

あぁここに泊まりたい、と思うほど、なんだかエモさがあった。

ちょっと歩いてみると、よく渡った歩道橋があった。

 

それを見たら、「もう何もかも嫌だ」と思った日とか、

インターンの会社の人に電話で怒られたこととか、

その時の彼氏に嫌なこと言われたことだとかが、思い出された。

 

若かったころに戻りたい、と思ったりしていたが、ふと、

「あのとき出来なかったけど、今できるようになった、ということが、沢山ある」

ということに気づいた。

 

年齢を重ねるごとに、焦りとか不安とか、寂しさとかは

募っていくのだけど、どんどん大きくなっていくのだけど、

なんとなーく、生きやすくなっていることは、間違いない。

何を引き換えにしたのかは、わからないけど。

 

 

 

今になって謝りたい人、今になって仲良くしたい人、が何人かいる。

でも、突然謝って、「はい、仲良くしましょう」となったとしても、

前みたいな関係性ではないのだと思う。

 

もっと、目の前のやりとりを大事にしたいと、思った。

昔の自分から、今の自分に警告。

 

もっと、素直に、弱くていいのである。