師走

 

 

あっという間に、12月になった。

 

今年はとにかく働いた1年だった。

年始に掲げた目標は、だいぶ達成し、

なかなか頑張った1年だったのではないかと思う。

 

出張の日数を数えたら、101日だった。

1年の3分の1は、どこかに行っていた。

佐賀県、愛知県、京都府大阪府、埼玉県が主な出張先である。

 

大体は、プロジェクションマッピングの作品か、

LEDライトや光る造形作品の仕事をしていた。

いろんな現場があったし、いろんな作品があった。

様々なやりとりがあって、感情も揺れた。

 

ふと気づくと、どこか慣れのようなものも出てきてる気がする。

効率よく仕事ができるようになることと、

慣れてしまうのは違う。

 

だがしかし、今年はだいぶ頑張ったのではないだろうか。

自分をしっかり褒めて、大事にすること。

低姿勢になりすぎないことも、来年への抱負である。

謙虚に、尊厳を持って生きたい。

 

 

師走。

自分へのご褒美と、来年への喝と、

周りの人への感謝を大切に過ごしたい。

 

 

少しずつ変わること。

 

 

もう11月である。

やっと11月、という感覚もある。

今年は、とにかく働いた。

色んなことが身についた感覚があるが、

何かを失っている気もする。

それはそれで、どちらも良いこと。

 

 

最近、久しぶりに彼氏と呼べる人が出来た。

(このブログは、私の知人はほとんど見ていない、

ひとりごとだと思って記載している)

 

 

彼氏という存在は不思議なもので、

友達や同僚より近く、家族より遠いはずなのに、

日常では一番近くにいる。

 

日々何かを少しずつ共有すること、

食事や休息を共にする人がいることは新鮮である。

 

だが、1人の時間から、2人の時間になったことが少しずつ増えて、

それに慣れるまでは、何かと注意深くバランスを取りたい。

 

他者の価値観や、癖や、匂いと共存することは、

とても良いことであり、慎重な事柄である。

 

 

 

もう年末に近づいてきて、

自分を振り返る時間を、自分が持とうとしている。

何かと、「このままで良いのか?」と問いかける。

 

いいこともわるいことも、ある。

最近わかったことは、私は「悪意」に敏感である。

 

「悪意」が小さじ1杯でも存在すると、

それが少しずつ溜まっていくと、

おそろしくストレスに感じる。

 

自分の要素の中に取り入れられた、

「悪意」を抜くまで、力が入らないことすらある。

 

「悪意」というのは、「悪事」や「いたずら」と違って、

あまり目に見えなかったりする。

大したことがない、むしろ気づかない人も多いくらいのものである。

 

だが、確かに存在する「悪意」というものは、

少しずつ、人々を侵食し、ストレスになっていくのではないかと思う。

 

私は、なるべく「悪意」と距離のある場所にいたい。

 

悪意は連鎖するし、悪意は、根元を絶つのが難しい。

避けられるものは避けたほうが良い。

大それたことではないからこそ、サラリと受け流したほうがいいのである。

 

受け流す身軽さは、いつまでも忘れずにいたい。

 

 

 

来年は何をしよう。

もう少し、音楽をやりたい。

 

 

 

 

腰を低く

 

最近、心に響いた言葉。

 

普段より、普通に、無駄に丁寧で、無駄に腰を低く(物理的に低く)、

さわやかに挨拶(物理的に大きな声で)してくれれば、うれしいです。
無駄に腰が低ければ、それも、物理的に、無駄に腰が低ければ、無駄に挨拶が良ければ、

それも、無駄に、声が大きければ、後は、本質的なバリューが高ければ、絶対大丈夫です。

「素直・謙虚・元気」を絶やさずに。

 

今日は嫌なことがあった。

 

数年前にお世話になっていた方から、

あるピアニスト ○○さんの、リサイタルの受付を頼まれた。

 

正直、面倒だなと思ったが、そのお世話になっていた人のお願いとのことで、引き受けた。

 

 

当日、会場に5分前に到着すると、3名の男性がいた。

この日、リサイタルを行うピアニストの人とは会ったことがなかったので、

「○○さんですか?」と声を掛けた。

すると、その方は○○さんではなく、

「○○さんは中でリハーサルをしていますよ」とのことだった。

 

演奏中に邪魔をしてはいけない、と思い、

そのまま部屋の外で待つことにした。

会場は、30名程度が座ることのできる小さい部屋で、
ぽつりとピアノが置いてあった。

 

5分ほど待っていると、いきなりドアが開いた。

すごい勢いで、○○さんは現れ、私に怒鳴った。

 

「なんで到着したら部屋に入ってこないんだ!」

「気づかないだろうが!!」

 

とっさに私は、

「すみません。リハーサルの邪魔をしてはいけないと思い、外でお待ちしておりました」

 

○○さんは、

「チッ。まぁいいですよ」と言った。

 

この日初めて会う人であり、挨拶もしないまま、怒鳴られ、驚いた。

到着して、私が待っていた時間は5分ほどで、

会場も小さく、開演までは1時間もあった。

 

そこから私は、置いてあるチラシの折り込みを行い、受付を開けた。

「今日は宜しくお願いします」も言われないまま、リサイタルは始まった。

 

 

正直、こんな姿勢の人のピアノなんて、心に一切入ってこなかった。

 

○○さんが、もしかしたらとってもすごい人なのかもしれない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

 

きっと、いろんな人にこうやって接してきた人なんだろう。

もし、人望がある人なら、知り合いでもない私に声をかけずとも、

お手伝いしたい人がいるはずだろう。

 

 

それでも、きっと、私も○○さんも、どちらも正しいのだ。

○○さんのリサイタルを聞きに、20名ほどのお客さんが来ていたし、

○○さんには○○さんの世界があって、

それで満足することがあるのだ。

 

それと同じく、私にも大事にしているものがあり、

それがおそらく、○○さんとは違ったのである。

 

 

 

素直・謙虚・元気を絶やさないことは難しい。

だが、私の会社の人たちや、まわりの人は、すごく謙虚だ。

 

どんなにすごいことをやっていても、

どんなにチヤホヤされても、

低い腰でありたい。

どんなに焦っていても、

どんなに追い詰められていても、

自分で自分を操作したい。

 

相手にぶつけるのではなく、

自分でどうにか収めたい。

まわりの人には、笑っていてほしい。

 

 

そう思った出来事だった。

きっと、イライラした私も、謙虚ではないんだろう。

でも、謙虚であることと、自分を殺すのは違う。

 

綺麗なピアノの音色も、ただの雑音になる。

拙いピアノでも、聞きたいと思う。

その差は、なんだろうか。

 

少なくとも、傲慢な人の音楽や作品は、私は見たくない。

人の振り見て、我が振り、直そう。

 

 

 

良かったこと

 

 

 

 

最近、良いことがあった。

この半年、目標としていたものが、叶った。

叶うと思っていなかったので、嬉しかったのである。

 

目標が叶うと、不思議なことに、

次の扉が開くもののようである。

今まで見えなかったものが見えて、

新しい悩みが現れる。

そうやって、少しずつ成長するみたいだ。

 

 

去年の9月といえば、ちょうど、

阿佐ヶ谷の古い一軒家に、ゆりと住みだした頃だ。

 

私はその時、大してちゃんと仕事もしていなかったし、

やりたいことと言うよりは、

何かやらないといけないような気がしていることに追われて、

俗に言う プータローであった。

 

 

 

それから、引っ越しや、仕事内容が変わったりして、

いろんな偶然から、今の状態になった。

そして、今年の春に決めた目標が、ひとつ達成された。

 

合格するとか、就職するとか、彼氏ができるとかっていうのは、

きっと、社会的なステータスが変わる、ということで、

それで満たされる何かを体験したのは久々だった。

 

わりと、少数派に属する人間だと思っているので、

多数派が感じる良いことに触れるのは、稀なことで、

そういうのは良いなぁと思った。

なにもかも、曖昧な文章になってしまっているけど、

兎にも角にも、よかった、のである。

 

自分がこれから何がしたいのか。

体力をつけたいし、痩せたいし、好きな服を着たい。

好きなものを食べて、楽しく過ごしたい。

そして、少し音楽もやって、歌を歌ったりして、

たまには、心が震える感動をして。

安心して眠りにつきたい。

 

そのために、なにを選んでいこうか?と考える。

 

ふと気づくと、

何かやらないといけないような気がしていることには 追われていなくて、

したいことをしている自分 に近づいている。

気がする。

 

よかった。

 

 

 

明大前

 

 

今、明大前のカフェにいる。

明大前には、21歳〜22歳くらいの頃と、

23歳~24歳くらいの頃に、住んでいた。

合計で2年くらい住んでいたことになる。

今から、3年前くらいのこと。

 

なんだか、もっと前のような気がする。

昨日、深夜に 漫画の タラレバ娘を読んでいたら、

なんだか、「結婚」とか「彼氏」というものが

なんとも懐かしくなって、明大前に来てみた、というわけである。

 

明大前に降り立つと、猛烈な懐かしさと、

あぁここに泊まりたい、と思うほど、なんだかエモさがあった。

ちょっと歩いてみると、よく渡った歩道橋があった。

 

それを見たら、「もう何もかも嫌だ」と思った日とか、

インターンの会社の人に電話で怒られたこととか、

その時の彼氏に嫌なこと言われたことだとかが、思い出された。

 

若かったころに戻りたい、と思ったりしていたが、ふと、

「あのとき出来なかったけど、今できるようになった、ということが、沢山ある」

ということに気づいた。

 

年齢を重ねるごとに、焦りとか不安とか、寂しさとかは

募っていくのだけど、どんどん大きくなっていくのだけど、

なんとなーく、生きやすくなっていることは、間違いない。

何を引き換えにしたのかは、わからないけど。

 

 

 

今になって謝りたい人、今になって仲良くしたい人、が何人かいる。

でも、突然謝って、「はい、仲良くしましょう」となったとしても、

前みたいな関係性ではないのだと思う。

 

もっと、目の前のやりとりを大事にしたいと、思った。

昔の自分から、今の自分に警告。

 

もっと、素直に、弱くていいのである。

 

 

 

 

モヤモヤすること

 

 

9月になった。秋。

秋の雰囲気を感じることのないまま、冬にならないように、

心の余裕を持って過ごしたいなぁと思う。

 

 

仕事。

働くということが何か、考える。

それぞれ、働くということへの価値観は違う。

会社の中で、自分のコミュニティの中でも、

それぞれ違う。

 

 

 

しごと
【仕事・為事】
  1. 1.
    職業や業務として、すること。また、職業。「―が忙しい」「―場(ば)」「―ができる」(新たに仕事が生ずる意にも、仕事とするわざについて能力がすぐれている意にも言う)「そんな注文では―にならない(=引き合わない)」。したわざ(の結果)。
     「これは私がした―だ」
  2. 2.
    物理
    力が働いて物体を動かしたとき、その力と動かした距離との積。

 

 
職業とはなんだろう。
 
しょくぎょう
【職業】
  1. 生計を立てるために日常従事する仕事。

 

生計を立てるための日々従事すること、が仕事のようである。

 

定義上では、やりがいや、その他の余剰みたいなものは、

仕事の定義には属さないみたいだ。

 

 

やりがいとは何だろう。

 

やり甲斐

読み方:やりがい
別表記:遣り甲斐
事に当たる際の充足感手応え張り合い過去に行った事について評価する場合は「やり甲斐があった」の他に「やった甲斐があった」とも表現する。

 

 

事に当たる充足感や手応え、張り合い。

充足感、張り合いとは何だろう。

 

充足感

読み方:じゅうそくかん
充実感満ち足りた感覚のこと。

 

はり あい -あひ [0] 【張(り)合い】

張り合うこと。競うこと。 「意地の-」
働きかけただけの反応感じられ,充足感のあること。やり甲斐(がい)のあること。 「上達早いので,教える-がある」 「 -のない仕事

 

 

 

充実感や満ち足りた感情は、仕事ではなく

違う場所でも得られるものなのだろう。

 

でも、生業として生活するために従事する時間、というものは、

とても長いものであり、

私みたいな者は、充実感や満ち足りた感情、

評価されて得ることのできる、存在価値すら、

仕事に求めてしまう。

 

 

余計な感情である。

そもそも、自分にとって、何が達成されたら、

充実感や存在価値を得られるのであろう。

 

それは、仕事に関わらず、人生において。

 

充実感:?

存在価値:?

 

もう少し考えてみたい。

 

 

 

 

 

頼るということ

 

 

今、喫茶店で、アイスコーヒーを飲んでいます。

 

7/26~8/14の出張を終えて、東京に帰ってきました。

正確に言えば、終えられなくて、途中離脱してしまった。

 

20日間、家に帰れず、その前も、20日間ほど働きづめで、

1ヶ月以上、ほとんど休みがない状態でした。

 

やっぱり、休みがなさすぎると、

自分の時間もなく、身体もつらく、

正常な自分でいられなくなってしまいます。

 

自分でも、嫌だな、と思うようなことをしてしまい、

自己嫌悪になって、どんどん悪い方向にいってしまう。

最後はそんな数日でした。

 

私は、大学生くらいの頃から、

「もっと頼ったほうがいい」とよく言われてきました。

今回も、きっと、もっと頼ったほうがよかったのだと思います。

でも、頼るという感覚が、あまりわかりません。

どうするのが、頼る、ということなのでしょうか。

 

わりとすぐしんどくなる方で、

機嫌も悪くなるし、しんどそうなのはすぐに伝わる方だとは思います。

でも、本当にダメそうなのは、伝わりにくい方なのかもしれません。

本当に折れないように、どこかでブレーキをかけてしまいます。

 

会社という大きな組織だったから、今回は、代打がいてくれました。

大きな口を叩いていても、所詮、先輩に助けられている、ひよっこの自分がいました。

 

今度からどうしたらいいのか、今、考えることが、

いままでの「頼るのが苦手な自分」を克服する、唯一の方法だとは、思います。

 

「ちょっと、しんどいから、これをやってほしい」と、言えばいいのかな。

多分、シンプルなことだろうなぁ。

 

そんなこともわからなくなるくらい、しんどかったんだな、と、

アイスコーヒーを飲みながら、ふと思いました。

 

休もう。