頼るということ

 

 

今、喫茶店で、アイスコーヒーを飲んでいます。

 

7/26~8/14の出張を終えて、東京に帰ってきました。

正確に言えば、終えられなくて、途中離脱してしまった。

 

20日間、家に帰れず、その前も、20日間ほど働きづめで、

1ヶ月以上、ほとんど休みがない状態でした。

 

やっぱり、休みがなさすぎると、

自分の時間もなく、身体もつらく、

正常な自分でいられなくなってしまいます。

 

自分でも、嫌だな、と思うようなことをしてしまい、

自己嫌悪になって、どんどん悪い方向にいってしまう。

最後はそんな数日でした。

 

私は、大学生くらいの頃から、

「もっと頼ったほうがいい」とよく言われてきました。

今回も、きっと、もっと頼ったほうがよかったのだと思います。

でも、頼るという感覚が、あまりわかりません。

どうするのが、頼る、ということなのでしょうか。

 

わりとすぐしんどくなる方で、

機嫌も悪くなるし、しんどそうなのはすぐに伝わる方だとは思います。

でも、本当にダメそうなのは、伝わりにくい方なのかもしれません。

本当に折れないように、どこかでブレーキをかけてしまいます。

 

会社という大きな組織だったから、今回は、代打がいてくれました。

大きな口を叩いていても、所詮、先輩に助けられている、ひよっこの自分がいました。

 

今度からどうしたらいいのか、今、考えることが、

いままでの「頼るのが苦手な自分」を克服する、唯一の方法だとは、思います。

 

「ちょっと、しんどいから、これをやってほしい」と、言えばいいのかな。

多分、シンプルなことだろうなぁ。

 

そんなこともわからなくなるくらい、しんどかったんだな、と、

アイスコーヒーを飲みながら、ふと思いました。

 

休もう。

 

 

 

苦手な人

 

 

苦手な人、前に嫌なことがあった人を、

 

無理やり苦手だと思わない様にしたり、

 

自分が変わろうとしたりするのは、

 

なかなかに疲れる。

 

無意識に、疲れる。

 

嫌なら距離を置こう。

 

SNSだって、フォローしなくていい。

 

だって、苦手なんだもん。

 

苦手になるには、それ相応の理由がある。

 

苦手でいいじゃん。

 

また、好きになるかもしれないし。

 

今は、苦手。

 

だから、離れる。

 

楽になって、幸せになる。

 

それでいいよなぁ。

 

だれも、好きになってなんて、頼んでないんだから。

 

 

言葉にすること

 

 

嫌だ、と思ったことは、

なるべく相手に伝えた方が良い、と感じる。

 

「もう、2度と同じことをしてほしくない」という意思表示を、

しっかりとすることによって、

「次は気をつけよう」と思わせたり、

「この人はこういうことをしたら嫌がるんだ」と知ってもらう。

たとえそれが、「この人めんどくさいな」と思われたとしても、

嫌なことを我慢するよりは良い、と思う。

 

 

もちろん、全て怒って、指摘して、を繰り返していると、

自分のエネルギーもそがれるので、よくない。

相手に伝えなくても、自分で許容できる範囲を広げることが、

器を大きくすること、であるかもしれない。

 

だが、器の容量には限りがあるし、

どんなに器を大きくしても、世界にはたくさんの人がいて、

全てを受け入れることなんて、到底できない。

 

いつか必ず、自分のことばで、

「いやだ」と伝えること、

「いやだ」と伝えることによって、

「自分の嫌なこと」を知ってもらうこと、が必要なタイミングは訪れる。

 

その時、自分の言葉で相手に伝えよう、と思えるなら、

しっかり伝えた方が良いと思うし、

伝えるのも無駄だ、と思うなら、そっと距離を取れば良い。

全ては自分の裁量である。

 

私個人の裁量とすれば、

毎日のように会う人には、

なるべく自分のことを知っておいてほしい。

だから、嫌なことは言う。

だけど、一度「嫌なこと」が起きた境遇には、

自分の方から、もう一度行くことはしない。

なるべく避けることにしている。

伝えつつも、回避する、この同時進行と、

そもそも伝えなくても済むような、

器の大きさをつくること。

少しずつ大人になりたいと思う。

 

でもでも、嫌なことがあったとき、

決して、一人だけのせいではない。

 

器が小さいこと、許容しないことが悪いわけではない。

自分をせめないで。

相手も、自分も、責めないのが一番良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正しいこと

 

 

映画、「万引き家族」を見た。

 

女の子の、最後の表情が印象的だった。

 

何を見たのだろうか。

 

だれかが迎えに来たのだろうか。

 

そうであってほしいと、願ってしまった。

 

それぞれが"正しいこと"を探して、

 

自分の、家族の、生活を守り、捨て、生きる。

 

お父さんや、お母さんや、こども、おばあちゃん。

 

大人、社会人、犯罪。

 

そうであるべきこと、の、形。

 

社会の常識から外れて、幸せであること。

 

社会の常識の中にいて、不幸せであること。

 

傷つくこと、癒えること。

 

安定していること、不安定であること。

 

尊いこと、無造作であること。

 

綺麗であること、汚いこと。

 

それぞれの、正しさで、

 

それぞれの、必死さで、

 

目の前の愛情を汲み取ること。もぎ取ること。

 

全てにおける、そもそもの、定義。

 

それが、曖昧であることを知って、

 

安心して不安になった。

 

なるべく、一人でも多くの人が幸せであって、

 

自分も幸せであること。

 

それが、安全であれば、何でもいいと思う自分と、

 

だれもいない、不安定でもいいから、

 

どこかに行って、暮らしたい自分がいることに気づいた。

 

でも、きっと、こうやって、

 

逃げると、いつもと同じだ、とも思う。

 

つらいことと一緒に、大事なものもなくなってしまう。

 

逃げることも必要だけど、重ねることも同じくらい必要である。

 

どちらかだけである必要はない、ということを、

 

学ぶ時なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

やりきれない

 

 

 

やりきれない。

 

悲しいことや痛ましいことに接して、心が痛む、という意味らしい。

 

私は、たった今、やりきれないです。

 

人はたまに、「仲良し」ということが、

 

間違った方向にいくことがある、と思います。

 

誰も悪意がなくても、傷つくことがある。

 

誰かが、私が、隣の人が、

 

傷ついていることが、表に出ないとき、

 

だれも気づいていないとき、

 

やりきれない気持ちになります。

 

自分が傷ついて、納得できなくて、

 

やりきれない気持ちになるときもあります。

 

人が傷ついて、それに、だれも気づいていなくて、

 

やりきれない気持ちになるときもあります。

 

そんな時は、「私は気づいてるよ」と、

 

そっと言ってあげたい、と、今思いました。

 

なぜなら、わたしが傷ついた時、

 

(たとえお節介でも)声をかけてもらいたいからです。

 

そうやって、気づいて、気づき合いたい、

 

そんな関係が、わたしはすきです。

 

そんな関係が、広がっていったらいいなと思います。

 

たとえお節介でも。

 

 

(名古屋にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しいこと

 

 

楽しいことをもっとしたい。

楽しいことに近づきたい。

心から、楽しいと、思うこと。

 

最近は、デジタルアートの現場に引き続きいます。

2ヶ月の出張の、ちょうど、真ん中くらい。

少しずつ、成長できているような感覚がある。

 

でも、その分、見えるものが増えて、

心配になることも、先回りしたくなることも増えた。

 

きっと、「いつか楽しくなりたい」と思っていては、

いつまでも楽しくなれないのではないか、と思う。

 

今、楽しいこと。

今、心地いいこと。

今、大好きな場所にいれること。

今、大切だと思う人と過ごせること。

今、好きな本を読めること。

今、やりたいことをすること。

 

そういうことは、とても大切で、

それだけでいいのかもしれない、と思った。

 

みんなが楽しくあってほしい。

そのために、わたしも楽しくありたい。

 

楽しいと、思いっきり言おう。

楽しくていいんだ。

苦しいことを我慢することが、がんばってること、ではないんだろう。

やりたいことを、必死にやること、

それが、がんばってること、であるような毎日が、

わたしは、今、幸せです。

 

もっと、楽しく。

もっと、一緒に、楽しく。

 

(名古屋にて)