腰を低く

 

最近、心に響いた言葉。

 

普段より、普通に、無駄に丁寧で、無駄に腰を低く(物理的に低く)、

さわやかに挨拶(物理的に大きな声で)してくれれば、うれしいです。
無駄に腰が低ければ、それも、物理的に、無駄に腰が低ければ、無駄に挨拶が良ければ、

それも、無駄に、声が大きければ、後は、本質的なバリューが高ければ、絶対大丈夫です。

「素直・謙虚・元気」を絶やさずに。

 

今日は嫌なことがあった。

 

数年前にお世話になっていた方から、

あるピアニスト ○○さんの、リサイタルの受付を頼まれた。

 

正直、面倒だなと思ったが、そのお世話になっていた人のお願いとのことで、引き受けた。

 

 

当日、会場に5分前に到着すると、3名の男性がいた。

この日、リサイタルを行うピアニストの人とは会ったことがなかったので、

「○○さんですか?」と声を掛けた。

すると、その方は○○さんではなく、

「○○さんは中でリハーサルをしていますよ」とのことだった。

 

演奏中に邪魔をしてはいけない、と思い、

そのまま部屋の外で待つことにした。

会場は、30名程度が座ることのできる小さい部屋で、
ぽつりとピアノが置いてあった。

 

5分ほど待っていると、いきなりドアが開いた。

すごい勢いで、○○さんは現れ、私に怒鳴った。

 

「なんで到着したら部屋に入ってこないんだ!」

「気づかないだろうが!!」

 

とっさに私は、

「すみません。リハーサルの邪魔をしてはいけないと思い、外でお待ちしておりました」

 

○○さんは、

「チッ。まぁいいですよ」と言った。

 

この日初めて会う人であり、挨拶もしないまま、怒鳴られ、驚いた。

到着して、私が待っていた時間は5分ほどで、

会場も小さく、開演までは1時間もあった。

 

そこから私は、置いてあるチラシの折り込みを行い、受付を開けた。

「今日は宜しくお願いします」も言われないまま、リサイタルは始まった。

 

 

正直、こんな姿勢の人のピアノなんて、心に一切入ってこなかった。

 

○○さんが、もしかしたらとってもすごい人なのかもしれない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

 

きっと、いろんな人にこうやって接してきた人なんだろう。

もし、人望がある人なら、知り合いでもない私に声をかけずとも、

お手伝いしたい人がいるはずだろう。

 

 

それでも、きっと、私も○○さんも、どちらも正しいのだ。

○○さんのリサイタルを聞きに、20名ほどのお客さんが来ていたし、

○○さんには○○さんの世界があって、

それで満足することがあるのだ。

 

それと同じく、私にも大事にしているものがあり、

それがおそらく、○○さんとは違ったのである。

 

 

 

素直・謙虚・元気を絶やさないことは難しい。

だが、私の会社の人たちや、まわりの人は、すごく謙虚だ。

 

どんなにすごいことをやっていても、

どんなにチヤホヤされても、

低い腰でありたい。

どんなに焦っていても、

どんなに追い詰められていても、

自分で自分を操作したい。

 

相手にぶつけるのではなく、

自分でどうにか収めたい。

まわりの人には、笑っていてほしい。

 

 

そう思った出来事だった。

きっと、イライラした私も、謙虚ではないんだろう。

でも、謙虚であることと、自分を殺すのは違う。

 

綺麗なピアノの音色も、ただの雑音になる。

拙いピアノでも、聞きたいと思う。

その差は、なんだろうか。

 

少なくとも、傲慢な人の音楽や作品は、私は見たくない。

人の振り見て、我が振り、直そう。