少しずつ変わること。

 

 

もう11月である。

やっと11月、という感覚もある。

今年は、とにかく働いた。

色んなことが身についた感覚があるが、

何かを失っている気もする。

それはそれで、どちらも良いこと。

 

 

最近、久しぶりに彼氏と呼べる人が出来た。

(このブログは、私の知人はほとんど見ていない、

ひとりごとだと思って記載している)

 

 

彼氏という存在は不思議なもので、

友達や同僚より近く、家族より遠いはずなのに、

日常では一番近くにいる。

 

日々何かを少しずつ共有すること、

食事や休息を共にする人がいることは新鮮である。

 

だが、1人の時間から、2人の時間になったことが少しずつ増えて、

それに慣れるまでは、何かと注意深くバランスを取りたい。

 

他者の価値観や、癖や、匂いと共存することは、

とても良いことであり、慎重な事柄である。

 

 

 

もう年末に近づいてきて、

自分を振り返る時間を、自分が持とうとしている。

何かと、「このままで良いのか?」と問いかける。

 

いいこともわるいことも、ある。

最近わかったことは、私は「悪意」に敏感である。

 

「悪意」が小さじ1杯でも存在すると、

それが少しずつ溜まっていくと、

おそろしくストレスに感じる。

 

自分の要素の中に取り入れられた、

「悪意」を抜くまで、力が入らないことすらある。

 

「悪意」というのは、「悪事」や「いたずら」と違って、

あまり目に見えなかったりする。

大したことがない、むしろ気づかない人も多いくらいのものである。

 

だが、確かに存在する「悪意」というものは、

少しずつ、人々を侵食し、ストレスになっていくのではないかと思う。

 

私は、なるべく「悪意」と距離のある場所にいたい。

 

悪意は連鎖するし、悪意は、根元を絶つのが難しい。

避けられるものは避けたほうが良い。

大それたことではないからこそ、サラリと受け流したほうがいいのである。

 

受け流す身軽さは、いつまでも忘れずにいたい。

 

 

 

来年は何をしよう。

もう少し、音楽をやりたい。