優しさ

 

 

本当の優しさは難しい。

 

100人いれば、100通りの優しさの基準があると思う。

 

最近、他者への優しさ(家族、交際相手、友人、同僚、先輩後輩など)について

 

考えている。

 

他人に優しさを向けるとき、少なからず

 

何かを求めてしまうのは仕方がない気がする。

 

相手の反応(気づいてくれるか、受け止めてくれるか)、

 

相手への見返り(御返し、同等の優しさ)、など

 

たとえ親子であっても、度合いや種類は違えど、

 

1mmも期待していないということは、あまりないのではないか?と思う。

 

それはそれで、いいのだけれど、

 

相手への優しさよりも、

 

見返りに対する期待が、度を超えてくると、苦しいな、と思う。

 

度を超えた期待が、

 

自己満足だったり、次の行動を強制するものであったり、

 

現状を抑制するものであったりすると、

 

なおさら、キツい。

 

優しさという、大義名分があるから、かなり厄介だ。

 

そういう、自分を守るための優しさ、みたいなものを感じると

 

恐ろしく、心が冷えていくのを感じる。

 

 

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相手のことを考えているようで、

 

自分のことしか考えられていないことは、往々にしてある。

 

例えば、付き合っている彼女に、

 

「忙しいと思うから、ごはん作って待ってたよ」

 

と言われて嬉しいのは、"週に数回の場合に限る"、と思う。

 

(この回数も人によるだろう)

 

もちろん、そもそも自分からお願いしているなら別だが、

 

頼んでもいないのに、毎日待たれても、

 

自分だったら重荷に感じてしまう。

 

忙しくて時間作れなくてごめんとか、

 

ごはん作った上に待ってくれてありがとうとか、

 

わかっているからこそ、プレッシャーに感じてしまう。

 

忙しいからこそ、たまには飲んで帰りたいし、

 

サクッとコンビニ飯で済ませて、早く寝たい時もある。

 

優しさも、ほどほどの方が、

 

自分も相手も、負荷なく過ごせるのでは?と思う。

 

その、"ほどほど"が合う人が、相性の良い人かもしれない。

 

寂しくなりすぎず、重荷にもなりすぎない、良い距離での優しさ。

 

 

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自立するのも、甘えるのも、

 

一人の時間も、他者との時間も、

 

同じくらい大事だと思う。

 

自分にも優しく、本当の意味で相手にも優しいこと。

 

自分に優しくするのも、

 

相手に求めすぎないことも、

 

どちらも簡単にできる人もいれば、

 

できない人もいる。

 

私は、"できない"方の人間だと、自分のことを思う。

 

だけど、執拗に求められる(期待・強制・抑圧)は、

 

ひどく嫌いである。

 

嫌味や、嫉妬や、寂しさとセットで、

 

〜してあげたのに、〜のせい、〜しないほうがいい、〜したほうがいい、

 

なんて言われるのが、大嫌いである。

 

これに優しさをセットにされた日には、逃げ場がなくなって、苦しくなる。

 

恩着せがましいこと言うくらいなら(大体相手は恩着せがましい自覚はないのだが)、

 

根本の問題(嫌味や嫉妬や寂しさの根源)を

 

解決する方向に、意識を向けて欲しい。

 

その方が、ずっと明るくて、建設的である。

 

もし、相手(私)が、忙しそうだったり

 

余裕がなさそうなのであれば、

 

放っておくか、時間を共にしている時だけでも楽しくいてほしいと思うし、

 

私は相手にもそうしたいし、そうでありたい。

 

嫌味や、嫉妬や、寂しさを、間違った優しさで

 

ぶつけたくはない。

 

 

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本当に相手に優しくするには、

 

相手の気持ちを考えることが大切だと思う。

 

これが意外と難しい。

 

嫌味・嫉妬・寂しさフィルターがかかると、

 

途端に話がすり替わってしまう。

 

 

自分だったら、どうしてほしいだろう?と、

 

相手が選んだ行動や言動も、なぜそうしたんだろう?と、

 

考える癖をつけたい。

 

 

本当の優しさを見失わない為に。